『田園の詩』 NO.5 「青田今昔」 (1993.6.8)

 小学校まで約1.2キロ、きれいに田植えの済んだ田圃の中の道を、6年生と1年生
の息子は歩いて学校に通っています。我が家が山の中腹にあるので、二人の姿を
小さくなるまで見渡すことができます。

 「ここから見える景色は、昔とちょっとも変わってへんやろ?」と女房に言われて、
旧態依然のままの田舎の進歩のなさを、ずばり指摘されたようで、私は返す言葉も
なくなります。

 昔と変わったことといえば、道路が舗装されたのと、田植えが機械でされるように
なったことくらいかもしれません。

 昔は、田植えといえば、村人総出の重労働でした。田植えが終わって、一服つい
た人々は、「ここん田圃は真っすぐ植わっちょる。あっちは少し曲がっちょる」など
と評価しあっていました。


    
     機械でよく植わらなかった所が気になるらしく、直接、田圃に入って「植えつぎ」
     をする家族もあります。中腰で、植わった苗を踏まぬよう注意しながら、田圃の中を
     歩き回る「植えつぎ」は重労働だと思います。   (08.6.1写)



 30数年前、小学校の行き帰りに、きれいに植えられた田圃を見るのは私の
楽しみでした。道から向こうの畦まで一直線に見通しがききます。そして、少し
歩み進むと、今度は斜めにも見通しがきくのです。縦も横も、斜めまでもが
真っすぐでした。

  一点の 偽りもなく 青田あり    誓子

 この句のように、整然と並んだ苗が青々と生い茂った様は本当に美しいもの
です。今は田植え機で植えるので、機械の進んでいった縦の線は真っすぐですが、
横と斜めの見通しはなくなりました。

 それでも、きれいな田圃を他人に見せたいという気概は、まだ残っているよう
です。近所のおじさんが、「うちの、あん気の短けえ息子が、田植えだけは誰より
上手じゃ」と自慢します。泥田に足を取られぬよう気を付けながら田植え機を扱い、
こちらから向こうまで何度も往復する、気の遠くなるような作業です。昔も今も、
苗を真っすぐ植えるのは至難の業のようです。

 二人の息子たち、青田を渡って来る風に吹かれながら、どんな楽しみを見つけ
ての通学でしょうか。                   (住職・筆工)

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